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Fiji Islands


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フィジーとは・・・


フィジーは、正式名称フィジー諸島共和国(Republic of the Fiji Islands)と言い、総面積1万8333平方km。日本の四国とほぼ同じ大きさ。
南太平洋の中央部、赤道と南回帰線に挟まれた海域に散らばる330の島々で成り立ち、1年中常夏の国で知られている。
フィジーを、一般的に使われる南太平洋の3つの文化圏(ミクロネシア・メラネシア・ポリネシア)に分類するとメラネシアに入るが、人種や文化などがポリネシアと類似点も多い事からメラネシアとポリネシアの中間的存在と考えられている。
現在フィジーに住む人種は、南太平洋人に限らず、中国人、インド人、西洋人、そしてそれらの混血と実に多様。
彼らは、いずれも近代以降の歴史の流れとともにやってきた人々あるいはその子孫だが、近年、先住民族よりも総人口に対する比率が高くなっており、首都スバを初めとする町々は無国籍風な雰囲気を漂わせている。

3つの大きな島
ビチレブ島  ・・・ 国際空港がありフィジーの玄関口とされているナンディや、砂糖の積出港として栄えるラウトカ、ナンディから4時間程の所にある首都のスバがある主要都市。
更にナンディから船や飛行機、そしてラウトカからはボートにて、1島1リゾートのママヌザ諸島や、映画『青い珊瑚礁』で有名になったヤサワ諸島へ行く事もでき、フィジーの中で最も大きな島だ。
バヌアレブ島  ・・・ 2番目に大きな島だが、観光客はあまり訪れておらず、ローカル的な雰囲気が漂っている。ビチレブ島のラウトカに次ぐ砂糖の積出港を持つランバサと、温泉の町サブサブがこの島の2大都市になる。
タベウニ島 ・・・ バヌアレブ島に寄り添うように浮かんでいるのがこの第3の島。素朴な村が幾つかあるだけの島で、ピュアなフィジーを知るには一番。フィジーで最もフィジーらしい島ではないだろうか。

南太平洋の中でのフィジーは
フィジーを南太平洋と言う広いエリアで見てみよう。
南太平洋に浮かぶ島々は、大きく分けて三つの文化圏に分けられる。
ミクロネシア ・・・ 日本から比較近い距離にあり、グアム・サイパン等日本人旅行者に馴染みの深い島々が含まれる。
メラネシア  ・・・ ミクロネシアの下に位置し、パプアニューギニア・ニューカレドニア・フィジー 等を含む。
ポリネシア  ・・・ 日本から最も遠く、タヒチ・サモア・トンガ・クック諸島やハワイ・ ニュージーランド・イースターと三角形 (ポリネシアン・トライアングルとも呼ばれている。)のように広範囲に広がっている。
いずれの文化圏の名称も、ギリシャ語が語源になっている。
ミクロネシアは『小さな島々』と言う意味で、メラネシアは『黒い島々』。但し、これは島が黒いと言う事ではなく、そこに住む人々の肌の色が他の文化圏の人に比べて濃い為に付けられた。
そして最後にポリネシアが『多数の島々』と名付けられた。

フィジーの歴史
フィジーに最初に人が住み始めたのは、紀元前1300年頃とされている。
東南アジアから移り住んできたと言われる当時の人々は、フィジーへ渡ってくる途中、ニューギニア方面の先住民族オーストラロイドとの混血を繰り返したものと推測されている。
ヨーロッパ人によるフィジー諸島への接触は、1643年にオランダの航海探検家アベル・タスマンに始る。彼はこの航海の途中、フィジー諸島以外にも多くの南太平洋の島々へ寄港している。
その代表的な場所が、ニュージーランドとオーストラリアのタスマニアだろう。ニュージーランドの名前は彼が付け、タスマニアは彼の名前をそのまま取ったものである。
その後は、キャプテン・ジェームズ・クックが1774年にフィジーへ2度目の航海の際に東南部の小島に上陸しているが、フィジー全土を確認している訳ではない。フィジーの大部分を最初に確認したのは、ヨーロッパ人のキャプテン・ウイリアム・ブライだ。
1789年の『バウンティ号の反乱』で有名なブライで、トンガ付近で反乱を起こした乗組員たちによりボートに放遂され、48日間漂流中にビチレブ島を含む39の島々を確認している。この確認を元に、ブライはフィジー諸島の最初の地図を作っている。その後、何人かの航海者たちによりフィジーの全ての島々が確認された。
しかし、ヨーロッパ人にとって、フィジー諸島に住む人々は『凶悪』であり、『食人種』であるとされ、実際にヨーロッパ人の入植が始まるのがそれから半世紀後、19世紀初めとされている。  
1844年、初の宣教師が来島し、キリスト教の布教を開始。それに伴い商人達も入ってきたが、彼らがヨーロッパから銃を持ち込んだ為、フィジー諸島は大きな混乱にみまわれた。
当時6つの王国が銃を持った為に対立が深刻化し、血で血を洗うような戦争が毎日のように繰り返された。
この反乱を治め、フィジー諸島を統一したのが、バウ族のザコンバウ王。
1871年に正式にフィジーの王として認められ、3年後にイギリスにフィジー譲渡を申し入れ、96年間にわたるイギリス植民地の時代に入る。
1879年に同じ植民地であったインド人をサトウキビ・プランテーションの為の出稼ぎとして労働者が送り込まれ、のちに人口の半数近くに達した。  
サトウキビが基幹産業として確立し、1970年には念願の独立を果たし、英連邦30番目の加盟国となり、初代首相も任命された。  
1999年に行われた総選挙では、インド人をリーダーとする連合政権が発足。この1年後、フィジー人の武装グループが国会を占拠するというクーデターが起こった。 事件は解決し、武装グループのリーダーは逮捕されたが、インド人の首相と大統領は辞任し、2001年に暫定政権からようやく首相が決まり、政局は現在、安定している。

フィジー人とインド人の関係
フィジーへ来た観光客の多くは、インド人が多く住んでいる事に驚くだろう。
現段階では全人口の44%がインド人で、先住民族であるフィジー人は51%なので、必然的にどこでもインド人を目にする。  
フィジーに最初にインド人が来島したのは1879年で、当時イギリスはフィジーにサトウキビ・プランテーションを開き、その労働力として同じ支配下にあったインド人を送った。
のんびり屋でマイペースなフィジー人に比べ、働き者で経済的意欲の強いインド人の方がイギリスとしても使いやすかったようだ。  
その後、インド人の移住者は増え、サトウキビの契約が切れた後もフィジーの環境を気に入って祖国に帰らず、定住する人が多かった。インド人達は持ち前の商魂たくましさで、自分たちの経済的基盤を確立していき、いつしかフィジー経済の実質的な権力はインド人たちのものとなった。
しかし、その一方でフィジーの政治は伝統社会を変える事はなかった。のちにインド人が政権を握った際には、フィジー人によるクーデターが勃発してしまう。
現在はフィジー人の首相だが、2つの民族との間にどのような関係を築くのか注目されている。
のんびりとした南国の楽園も、根深い問題を抱えている。

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